【詳細プロフィール】

11回目の体外受精(移植)で夢が叶った主婦!

こんにちは。

不妊でめちゃくちゃ悩んでいた主婦のぽろすけです。プロフィールをご覧いただきありがとうございます!

私のブログを訪れてプロフィールまで見てくださっているあなたは、きっと過去の私のように深い悩みに苦しんでいらっしゃるのかもしれないですね。

私は自分で言うのもなんなんですが・・・29歳から約4年半に及ぶかなり壮絶な不妊治療を経験し、32歳で11回目に行った体外受精(移植)でやっとやっと妊娠継続、33歳で第一子を出産することができました。

ぽろすけ
ぽろすけ

不妊治療中の闇が深すぎて・・・

今この現実が時々信じられなくなることも。

「え、29歳から不妊治療なんて必要ないでしょ?」
と思われた方もいらっしゃると思います。

「まだ若いのに・・・」
「治療なんかしなくたって大丈夫じゃない?」
「え~そこまでして子ども欲しいの?」

など、私自身も医師や友達・家族からいろいろな言葉を投げかけられました。

確かにまだまだ不妊治療が必要だったり難しくなったりしてくる年齢ではないですが・・・私には29歳で不妊治療を行わなければいけない特殊な「事情」がありました。

その事情とは、私は生まれつき子宮の右半分がない子宮奇形(単角子宮)というハンデを背負っている事実が結婚後に判明したことなんです。

ぽろすけ
ぽろすけ

子宮の右半分と

右側の卵管も生まれつきありません・・・

そんな私がこのブログに不妊治療の体験記を書き綴ろうと思った一番の理由は、不妊治療に苦しんでいた当時の私が本当に欲しかった情報「若年×反復不成立×子宮奇形でも出産することができた体験談」を私と同じようなハンデを背負いながらも不妊治療に取り組もうとしている方に伝えたい!と、心から思ったことです。

1つでもいいから私と同じような「若年×反復不成立×子宮奇形でも無事に出産することができたという希望が持てるような体験談」を知りたい!とネットで何度も何度も検索してみた結果、医療的な論文ばかりしか見つからず不安は余計に高まる一方で。そんな過去の私と同じ苦しみを抱えている人に、少しでも希望を持ってもらいたいと思い・・・

ぽろすけ
ぽろすけ

救いを求めてネット検索した結果、逆に不安になるー

そしてもう明け方・・・(泣)

これこそ苦難の末に無事に出産までたどり着くことができた私の使命だと感じ、体験記としてこの広い世界に残すことにしました。

私と同じように悩まれている方の役に立つ情報や1つの答えにもなれば・・・私もとても嬉しいです。

「若年×反復不成立×子宮奇形」29歳で不妊治療をスタートした時の苦しみ

私は28歳で結婚しましたが、でも実は結婚するまで子どもが欲しと思ったことがありませんでした!

結婚をして初めて夫と自分の子どもが欲しい・大切に育てたいと思うようになったくらいで、たまに友達の子と触れ合うくらいで十分だと・・・^^;

当時はまさか自分が子宮奇形で不妊治療を行わないと赤ちゃんを授かれない・・・なんて想像もしていなかったので、結婚当初も心の中ではまだもう少しだけ先でいいや~と思いつつ妊活に取り組んでいました。

ところが、できない。ちゃんと計画して考えて妊活しているのに・・・とちょっとだけ不安になり、ならば手っ取り早く!と不妊治療クリニックを受診することに。

プロの指導のもと頑張ればできるはず♪・・・と思いきや全然できない。そして、単角子宮の発覚。

診察室でそう告げられた時には頭の中が真っ黒(白ではなく!)になって、目に熱いものがこみ上げてきました。でも・・・

ぽろすけ
ぽろすけ

不妊の理由が1つ分かって良かった!

単角子宮でも無事妊娠出産するぞ~!!

と意気込んだ私は、最短で妊娠する!自分の子どもをもって大切に育てる!夫を父親に両親を祖父母にしてあげたい!くよくよしている場合じゃない!ハンデがあったとしても絶対に妊娠してみせる!!と、急発進で不妊治療のスタートダッシュを決めました。

ここまでのエピソードからも伝わってくると思いますが・・・私はかなりの負けず嫌いで、曲がったことと遠回りが大嫌いです!

なので、不妊治療に対してもまっすぐに体当たりで取り組んできました。爆速・・・とは言えませんが、4年半で念願を叶えることもできました。

32歳までに体外受精(移植)を11回、絶望や妬みや自暴自棄に陥りまくった私がどんな人間なのか

もしよろしければ…ここで紹介させてもらいたいと思います。

ご興味のない方はぜひリターンしてくださいね。

私がどのような道を歩んでどのような考え方をもっているのか、経験した不妊治療とも深く関わってくる部分もあるので振り返りながら書いていきます。

ぽろすけ
ぽろすけ

諦めなくて良かった。

諦めず続けて本当に良かった。

おっとり、大人しかった幼少期(〜小学校)

私はとにかく大人しい子どもでした。幼稚園生の頃、園庭で元気よく遊んだ記憶がありません(内弁慶だったので家でははしゃいでよく喋っていましたが・・・笑)。

幼少期から小動物のように小さかったためか、有り難いことにみんなに可愛がってもらえるタイプ(イジりもあり)で友達も多い方でした。

全校生徒が200人くらいしかいないアットホームで小さな小学校でのびのびと育ち、男女問わずみんな友達という環境で育ったためか基本誰とでも仲良くなれるタイプだと思います^^

勉強も運動も音楽も中の中くらいでしたが、健康なら何でもOK~!かつ過保護な親だったので好きなことだけ(手芸や絵を書くこと。今と変わらずインドアでした)は頑張る子どもでしたね。

小規模な小学校だったので持ち回りで学級委員や生徒会役員も経験しましたが、私はリーダータイプではないと大人になった今でも感じています。

私が現在、このような情報を発信していると知ったら驚く同級生は多いと思います!

負けず嫌いが覚醒した中学〜高校時代

これまた田舎の全校生徒200人くらいの中学校に進学し、初めての定期テストを経験。

初めて自分が点数化されて順位付けされる体験をした結果、どんどん高みを目指したくなりました!笑

その後、中学卒業までの3年間はずっと学年5位以内(学年70人中ですが。そして最高は2位止まり。笑)をキープ。

運動も音楽も他に何も輝ける才能がなかった私は、勉強したらしただけ結果に現れてくれる定期テスト(しかも、親や先生に褒められる^^)に全てをかけるほどの負けず嫌いへ成長・・・!

中学生なのに徹夜は当たり前、テスト週間は家族も引くくらい勉強にのめりこんでいましたね。

そして、地元の高校へ進学後もその勢いのまま学年5位以内(文系だけ150人中)をキープし続けたものの・・・

私が頑張っていたのは定期テストのための勉強であり、決して応用力があったわけではないので地元の普通の国立大学の教育学部に進学します^^;

とにかく定期テストに関しては他人にも自分にも負けたくなくて、大学受験勉強も必死で自分を追い込んでいましたね・・・次は友達にも引かれるくらいに。

そして、大学入学後は自分の限界を思い知る人生を送り続けることに・・・

自分の限界を知った大学時代そして就職へ

教育学部に進学した私は、定期テスト好き(笑。あと人に何かを教えることが好き)を活かして教員になりたいと思っていました。

ところが、教育実習でその現実(肉体労働の多さよ)を体感した私は教員が果たして自分に合っているのか不安になり悩んだ末ついには諦め、一般就職のための就職活動を他の学生よりかなり遅れて始めます。

結果、第一志望だった東京の出版社(文章を書くのが好きだったため、教員から一転編集者を志して)の最終面接で落ちてしまい・・・地元の広告代理店に入社し、広告営業の仕事に就きます。

社会人1ヶ月目から負けず嫌いを発揮し朝から晩まで(いや深夜まで・・・この間まで学生だった私が午前3時も働いていました。笑)働き続け、1年半で身体を壊し泣く泣く退職へ。仕事自体は好きだったし良いクライアントにも恵まれたので本当は辞めたくなかったです;;

しばらく休養したのち、広告代理店時代の元クライアントの結婚式場で働くことになり、競争のないのんびりとした環境で新郎新婦の要望に応えつつ数年後には自分が婚約!^^

結婚から約1年後に夫の仕事の関係で結婚式場を退職し、妊活⇒不妊治療街道を突き進むことになります・・・

>>>不妊治療と仕事を両立した体験談!休んだ頻度や転職や休職した話も☆

お節介で人に優しく在りたい性格

私は長女なのでお節介気質が強く、他人にはできる限り優しくしたいと思っています!

社会人2年目のある日、地元の友達の繋がりで外国にルーツをもつ男性に出会いました。

ベネズエラ出身だという彼に少しでも日本で住みよく暮らして欲しいと思い、初めてみんなで遊んだその日は積極的に話しかけ(しかも、ゆっくり丁寧な日本語で)、私なりにいろいろな場面で助けてあげたつもりでした。

BBQをしてボウリングにも行って楽しかったその日の解散直前、

ベネズエラ人?
ベネズエラ人?

ごめん!おれ日本人!

実家に仏壇もあるよ。笑

と衝撃発言・・・外国にルーツをもつというところから名前(カタカナ名で紹介されてました笑)まで全てが嘘で、なんと友達みんなで仕掛けられた1日がかりの壮大なドッキリだったのです!

ちなみにその彼は、現在の夫ではありません!笑

でも・・・私の中で人に親切でありたいという気持ちは常にもち続けていて、広告代理店での仕事、結婚式場での仕事、結婚後に務めた中学校教員としての仕事ではその気持ちを大切にして働いていたつもりです!

人に良く思われたいという精神の裏返しかも知れませんが、私と友達になったら絶対に損はさせないことをお約束しますよ!笑

しかし、その信念さえ覆したのが4年半に及ぶ不妊治療の経験でした・・・

ぽろすけ
ぽろすけ

ちなにみに私はBBQもボウリングも苦手!

カラオケは好きです♪

私が不妊治療のスタートダッシュを決めた経緯

私は教員になりたかったという割には子どもが大大大好き!・・・ではなく、結婚をして初めて夫と自分の子どもが欲しい・大切に育てたいと思うようになりました。

ぽろすけ
ぽろすけ

妊娠出産育児よりも働きたい!!

と思っていた20代のあの頃・・・

ところが、ちゃんと計画して考えて妊活しているのにできない。ならば手っ取り早く!と不妊治療クリニックを受診するも全くうまくいかず、さらには単角子宮の発覚・・・

負けず嫌いで遠回りも嫌いな私は、最短で妊娠する!自分の子どもをもって大切に育てる!夫を父親に両親を祖父母にしてあげたい!と29歳にして不妊治療のスタートダッシュを決めたのです。

半年もあれば、1年後には・・・と思って初めた不妊治療に4年半も費やすと思わなかったし、まさか自分が体外受精を10回以上やるとは思っていませんでした。

それ以上に、私はこんなにも子どもが欲しかったんだという本能(?)や抑えきれない自分を情けなく思う気持ちにも驚いたし、負けず嫌いがたたって妊娠できない自分を責めて追い詰めたりもしてしまいました。

挫折のない人生だったとは言えませんが、人生で後にも先にも最大の挫折だったと思うし本当に心身も頭もおかしくなるくらい悩み倒しました。

正直、妊娠出産育児は誰にだってできることだと思っていました。才能も技術も努力も必要のないことだと上から目線でいました。

なので、余計に・・・妊娠できない自分に屈辱を感じたし、全世界の母親と自分を比べては自分に対して悔しい気持ちになってしまいましたね。

かつての私
かつての私

あの子にできて・・・

なんで私にできないの?(怒。自分に対する)

とても性格の悪い不妊治療を始めたきっかけ・スタートダッシュを決めた当時の私ですよね。

でも、あの時の選択も思考も間違ってなかったと思っています。あの選択があったからこそ、その後の努力や時間や考え方が生まれたからこそ、今の幸せにつながっていると思っています。

私の経験を踏まえてお伝えしたいのは、何事も勇気をもってスタートダッシュを決めて欲しいということです・・・!

行動して時間を先に進めなきゃ何も始まらないし、努力して考えないと何も生まれません。

心身共にズタボロになった時も絶えず先に進み続けた私。決して美談ではありませんが、そこまでして本当に良かったと私はいつもいつも思っています。

まだまだトラウマを感じる場面や卑屈に思ってしまう瞬間はありますが、人前では以前のように笑顔で不妊治療の経験について語れるようになったのはつい最近のことです・・・その理由は・・・

不妊治療で人格崩壊…精神的な弱さも全開に

私の負けず嫌いな性格は、私をますます不妊治療にのめり込ませました。

不妊治療経験者の間でよく囁かれている、「不妊治療はリアル課金ゲーム」・・・

本当にその通りで、これだけ時間とお金をかけたんだから、こんなに頑張ったんだから…ともちろん簡単には辞められず、次こそ!次こそ!とノンストップで走り続けた結果、私は心身ともに壊れてしまいました。

自分も他人も世の中も全部が嫌になって、まずは朝起きられないことから始まり・・・手足が痺れて一日中吐き気がして、体重もどんどん落ちていきました。

これがちょうど5回目の移植で流産した直後なのですが、この頃から本格的に人に優しくできなくなりました

特にその矛先は友達(=私を華麗に差し置いて母親になっていった友たち)に向かい・・・最低最悪なのですが、もう二度と会いたくない(こんな精神状態では会えない)と思っていました。

通常は痛くて辛い思いはむしろゼロでの妊娠からの、幸せに繋がる痛みを耐えての出産・・・そんな絶頂の経験を、私からしたらいとも簡単にしている友達が羨ましくて羨ましくて・・・

私はこんなに頑張っているのに、努力もしているのに、時間もお金もかけて精神もすり減らしているのに!!!!

ぽろすけ
ぽろすけ

なぜ・・・(なぜ・・・としか言いようがない)

負けず嫌いな私は努力と結果が結び付かない不妊治療・・・ではなく人に親切にすることに音を上げてしまいます

友達との接触の一切シャットアウトして(SNSをアンインストール!LINEもほぼ機能させず!笑)一人悶々と過ごすことでしか生きていられませんでした。


不妊治療は人格を変えるよ・・・


いつだったか今も大切な友達が言ってくれた言葉にいくぶんか救われましたが、本当に性格が最低最悪暗黒時代はブログに毒を吐き続けながら過ごしましたね。

そんな私が、不妊治療で経験したこと・思ったこと・実践したこと・使ったお金・崩壊したメンタルのことなど、私の不妊治療の全てを体験記としてブログに書いていこうと思っています。

現在の私

今年で35歳になる
不妊でめちゃくちゃ悩んでいた主婦のぽろすけと申します。

29歳で不妊治療をはじめて33歳で出産に至るまで

  • タイミング法 星の数ほど
  • 人工授精 5回
  • 体外受精 11回

を経験。おまけに単角子宮という子宮奇形もちで
生まれつき子宮の右半分がありません。

正確には採卵3回・移植11回で妊娠、無事に出産にこぎつけました

4年半の間、藁をもつかむ思いで取り組んだ不妊治療・・・

クリニックに通うことがライフワークで
頭の中はずっと不妊治療のことでいっぱいでした。

もちろん精神も病みましたよね^^;

そんな中、毎日何時間もスマホに張り付いて
不妊治療に関する情報を集めては落胆・・・

とにかく生きた情報が少なくて。

  • 若年で体外受精をしてもなかなか妊娠できていない人
  • 移植を何度繰り返しても着床しない人
  • 単角子宮(子宮奇形)をもつ人で不妊治療をしている人

私が知りたかった情報は何一つ見つかりませんでした。

過去に自分みたいな人はいないんじゃないか・・・
(私はもう妊娠も出産もできないんしゃないか・・・)

と何度も何度も絶望しました。

無事に出産ができたらやろうと決めていたこと。

それは、私の経験を残すサイト(ブログ)を作ること。

同じように悩んでいる人・苦しんでいる人への
1つの答えになるように、心を込めて書いていきます。

現在の私
現在の私

このブログにたどり着いてくださった方のために・・・

私の持ちうる限りの情報を全力でお伝えしていきますね!!

最後までお読みいただきありがとうございました。

\もしもっと深く詳しい体験談が知りたい・・・という方は遠慮なくご連絡くださいね。/

ぽろり
ぽろり

ちなみに・・・「ぽろすけ」の由来は愛犬ぽろりから♡

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